フレスコボールが作る持続可能な未来を、私達も一緒に広げる魅力。【前編】

フレスコボール。ラケットとボールがあれば楽しめる世界で人気のスポーツだ。競技の普及活動を続け、世界3位の実績もある斉藤亮太さんへ取材した。この競技が作る持続可能な未来を、一緒に広げる魅力を知ることができた。

※本記事は、宣伝会議 第43期 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成しています。


逗子海岸でラケットを握る斉藤さん

ある週末に海岸を散歩していると、見たことがないラケットと、小さなボールでラリーしているグループを見た。調べると、フレスコボールという名前だ。相手を打ち負かして勝敗を決めるのではなく、ラリーを続けるために「相手を思いやる」スポーツだと知った。

2021年、人々の顔は相変わらずマスクで覆われており、相手の表情が読み取りにくい。そんな中、夏の東京オリンピックは開催された。33競技のメダリストが次々と誕生する中、勝ち負けを超えた相手をリスペクトする姿も話題となった。世界最大のスポーツ祭典を通して、多様性と協調を体現している選手達の活躍は多くの共感を呼んだ。海で行うサーフィンは台風による荒波で決勝が行われた。剥き出しの自然へと立ち向かっていく選手の姿は、自然に対する畏怖と感謝する根源的な感情を思い出させてくれた。

海やビーチに関わるスポーツからも、私達は影響を受けている。ビーチをフィールドとするフレスコボールからの影響も知りたく、斉藤亮太さんに取材を申し込んだ。 斉藤さんのはからいで取材前に1時間ほどプレーした後、海沿いのビーチが見えるレストランへ移動。コーヒーを飲みながら、フレスコボールの可能性と未来の話を聞けた。

フレスコボールと斉藤さん

2021年12月、斉藤さんと待ち合わせたのは神奈川県にある逗子海岸。天気は快晴、太陽が高い位置にあり目に眩しい。視界に収まらない文字通りの深い青空。ぽつんとした江ノ島の奥に、伊豆半島の山々と富士山のシルエットがハッキリと見えている。風は海上から砂浜へ強く吹いている。波打ち際にいると風に煽られた波しぶきが自分の顔にかかってくるほどだ。

「こんにちは〜、風強いですね!」そう言いながら斉藤さんは現れた。風を避けるため、海を右手に見ながら橋の下へと歩き始めた。スポーツウェアに身を包み、歩く後ろ姿は、関節と筋肉が無駄なく連動しているのが分かるしなやかな動きだ。しっかりとした首周りのせいか、実際の174㌢よりも大きい印象を受ける。

背負っていたリュックからにょきっとラケットが2つ、そしてゴム製ボールがコロンと出てきた。見た目は卓球ラケットを大きくしたような形といえばイメージしやすい。大きさは50㌢に届かない、A4ファイルと比較するとグリップ部分が少しはみ出る。ラケットの重さは缶ジュースを握っている程度。ボールに縫い目などの装飾はなく、ツヤの無いまん丸。テニスボールと卓球玉の間の大きさ。握ると軟式野球ボールのような硬さで高い空気圧が保たれているのが分かる。卵一つほどの重さか。

ボールを地面にバウンドさせない基本ルール説明と、ラケットの持ち方、打ち返すコツの簡単なレクチャーを受けた。「じゃー、やりましょうか!」の一言から早速ラリーが始まった。ラケットとボールがぶつかる音はパコン、パコン、と木製のテーブルに本の角をぶつけたような若干籠もった乾いた音。ラリーのテンポと相まって耳に心地よく聞こえる。ラケットとボールの反発はズシッと手首の上まで伝わる。日常にはない感触に眠っている神経が目を覚ましていく。

パコンパコン、パコンパコン、パコンパコン…映像で見るテニスの試合よりも若干早いテンポで続いているラリーは、100回を優に超えている。師走の冷えた空気の中、斉藤さんはリラックスした笑顔だ。

斉藤さんとフレスコボールの出会いは2015年、夏のジャパンオープン。体験会に誘われ、気がついたら来日していたブラジルのチャンピオン、シルビア・カミーラペアとラリーをしていた。初心者だった斉藤さんのボールを全て打ち返してくれて「ラリーが続くのがこんなに楽しいのか」と驚きながらも無心になる爽快感を全身で味わっていた。翌2016年のビギナーズ大会で優勝、続くジャパンオープンで準優勝。あっという間に日本代表となり、同年イタリアで開催された世界大会へ出場となる。2019年のリオで開催されたブラジル選手権では世界3位の実績を残す。2021年現在も5年連続で日本代表としてプレイしながら、競技の普及活動にも力を入れている。

社会とフレスコボール

フレスコボール発祥は1945年。リオデジャネイロは海近くの街コパカバーナ。語源は気分転換の「リフレッシュ」が由来、夕暮れ時に波打ち際で涼みながらテニスを楽しんでいたのが始まりと言われている。70年以上の歴史があり、世界選手権も開催されている。2016年に開催のリオオリンピックでは、ブラジル文化の一つとして紹介されるほど人々の親しまれており、生活に入り込んでいるスポーツだ。

日本に上陸したのは2013年。当初の競技人口は数十人程度、どこに行っても知っている人しかいない状況だった。日本フレスコボール協会(JFBA)よると2021年の競技人口は5〜6000人と推計。伸び盛のスタートアップ企業の如く、8年で競技人口は桁が2つ増えている。

他のスポーツと違うのは、対戦相手を倒すのではなく、個人技を追求していくのでもない、相手の事を常に思いやり、打ち返しやすくするスポーツということ。

「どうしたら続けられるのかっていう交流が生まれます。その日初めて会う人との会話を通して、仲良くなってラリーが続くだけで楽しいです」

物理的な手軽さ、どこでも始められる気軽さの魅力だけでなく、共通言語を持って続けるためのコミュニケーションが本質的な魅力だ。公式キャッチコピーが「コミュニケーションデザインスポーツ」とついているほどだ。ラリーを続けるための交流を楽しみながら人柄を知っていく中で、出会って付き合い始め、結婚までする人たちもいる。一緒に上手くなってラリー続けていけたら、それだけで思い出になる。何ともキラキラとした副産物だ。

「場所はどこでも出来ますが、やっぱりビーチで裸足が一番気持ちいい。世界大会もビーチで開催されますしね。ただ、海汚いなって実感が増えました。来たときよりキレイにして帰るようにしています」

海岸でフレスコボールを開始する前は毎回ビーチクリーンをしている。最初は貝殻や釘、大きな石などが危ないからという理由だった。自分たちが楽しければいいだけではない。ビーチが無いと楽しめないから守っていきたい。続けるうちに、フィールドに愛着が湧き、環境問題を主軸としたコミュニケーションも自然と増える。

ラケット素材の違いで楽しみも変わる。左は木製、右はファイバー製のラケット。

高齢者が多い逗子で普及活動している斉藤さんは、別の魅力も感じていると言う。

「おじいちゃんおばあちゃんが夢中で楽しんでます。向上心がすごくて、『どうやったらそんなに打ち返せるの?若い人には負けてらんない!』って研究熱心さに圧倒されます。週2でしっかり運動して足腰が強くなって、日々の行動が活発になってる人も沢山います」

健康でいるための楽しみだけでなく、身体機能回復にも一役買っている。健康寿命を伸ばすだけでなく、若返らせている。

フレスコボールは、初めましての人同士、違う世代など、コミュニケーションのきっかけともなる。垣根を超えるのは障害者と健常者でも同じだ。

「うちの89歳で座りっぱなしのおばあちゃんとも一緒に楽しみました。動画アップしてあるので、たくさんの人に見てほしいですね」

車椅子の人でも、体に一部麻痺がある人でもコントロールさえできれば同じ様に楽しめる。障害者向けの体験会も斉藤さんが所属している逗子フレスコボールクラブ(ZFC)では開催している。

「自分自身もですけど、人生が豊かになっていく人をたくさん見ているんです。競技は辞めたとしても、広める活動は続けていきたいですね。良いことばっかりです」

確かな実績を積んでいる斉藤さんは競技性の楽しさだけでなく、フレスコボールが広がっていることを楽しんでいる。

この記事を書いた人

大橋哲郎 / 海と人をつなげる編集者
大橋哲郎 / 海と人をつなげる編集者OH! OCEAN 編集長
海をキレイにしたくて、ライティングやWebディレクションやコンテンツ制作をしています。
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